CREATION_224号
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愛媛に暮らす人のために働く公務員という道を選ぶお自 任されたことのありがたさだからこそ期待に応えたい「オール愛媛」体制でより良い施策を展開する宅から通学可能であり、学費も比較的負担が少なかったため松山商科大学(現松山大学)に進学したという菅さん。当時は“なにはさておき大学に入ろう。それからやりたいことを見つけよう”という時代。菅さんも明確な夢や目標は定まっていなかったが、卒業したら社会に出て働くことは当然のことという意識はあった。しかし当時の民間企業の面接スタイルが性に合わず、何となくやり過ごしているうちに採用シーズンが終わってしまう。「当時は行き先がなくて公務員…という空気感はありました。ですが当時の自分には民間企業は株主のために働くというイメージがあり、それより幅広くたくさんの人に喜ばれる仕事がしたいと思っていたのも事実です」と当時を振り返る。そんな空気感であっても公務員は人気が高く、一筋縄ではいかなかったが、かこで何をするにしても、自分に課された責任は果たさなければという気持ちは強く持っていました」。2024年8月に副知事に就任し、「オール愛媛」体制で“愛え顔があふれる愛媛県”の実現を目指している。そして次の世代により良い形で社会を引き継ぐために全力を注いでいるという。県民の幸福のために奮闘する菅さんに、これからもエールを送り続けていきたい。わいがってくれた祖母の叱咤激励を受けつつ努力した甲斐あって愛媛県庁に採用が決定。西条地方局での税徴収から始まり、離島・半島振興、農政課、総合政策課主幹、今治支局税務室長、保健福祉部長、総務部長など、様々な経験を積んでいく。「課長職に就くという目標は持っていました。その後は与えられた職務に全力で向き合ううち、なるようになった、という感じです。ただ、どINTERVIEW14CREATION NO.224学生時代にPLAY BACK (1982.4~1986.3)KAN Noriyuki1986年3月経営学部経営学科卒座右の銘後輩へのアドバイス愛媛県 副知事英フォークランド諸島奪回、大韓航空機領空を侵犯ソ連が追撃、ロス五輪開幕・共産圏15カ国不参加、ガンジー印度首相暗殺、英中が香港返還正式調印、ゴルバチョフ・ソ連書記長就任、ハレー彗星回帰 ほか海外500円硬貨発行、参議院選挙で初の比例代表制導入、ロッキード事件田中元首相に実刑判決、東京ディズニーランド開園、日本電信電話・日本たばこ産業の新会社スタート、男女雇用機会均等法成立、日航ジャンボ機墜落炎上 ほか国内学内外国人特別講師制度を採用、「オフィス・アワー」制度発足、創立60周年記念式典挙行、法学部設置委員会発足、御幸キャンパス落成式 ほか学業でもプライベートでも、やってみたいことがあれば積極的に挑戦するべきです。自分でコントロールできる時間が多いのは学生時代だけ。そしてその経験はかけがえのない思い出となり、後の人生に幅と深みをもたらしてくれるはずです。    さんOBINTERVIEW

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